今の成熟した世の中では考えられないようなメガヒットが成長期のアメリカには時として生まれ、それがアメリカン・ドリームになり伝説となっていきました。
アメリカに住んでるおじーちゃん達によると、「今はセレブは居るかもしれないが、そいつらの中でレジェンドになった奴はいないだろ」ってことらしいのです。
おじーちゃんやおばーちゃんにとってホントのセレブは、ジェームス・ディーンやマーロン・ブランドそしてマリリンモンローって言う事になっているんです。
そりゃそうですよね~。1950年代、もっともアメリカが輝いていた時代の大スターですから。
日本だって昭和のアイドルは‥‥‥詳しくはNHKのあまちゃんでどうぞ。
1940年代後半のアメリカのドラマや雑誌を見ると戦後ということもありますが、男性は普段着の時もスーツやスラックスに革靴というスタイルで、女性はプリントのひざ下丈のワンピースっていうカッコが多いんです。
そんなスタイルが1950年代初頭にガラッとドラマチックにジーンズとスニーカーという現代の原型に近い姿に変わっていきます。
その変化の大きな原因となったのが
”James DEAN”の登場だったんですね。
そのちょっと前にマーロン・ブランドがジーンズにライダースジャケットっていうカッコで人気が爆発するんですが、彼が演じたのはアウトロー的な役柄で、やがてジェームス・ディーンが演じるのは中産階級の二枚目のおぼっちゃま的な怒れる青年役だったんです。
これが今で言うメガヒット。
時のアメリカは中産階級が裕福になり、消費社会にまっしぐらな時代でした。
映画の中で彼が身に着けていたマックレガー社の赤いドリズラージャケットとLee101Bそして白いジャック・パーセルは、今では考えられ無い位の数量が売れたらしいんです。
あれれ、ジェームス・ディーンの履いていたジーンズって501じゃないの???って言うあなた、某ジーンズメーカーの策略にはまっていますよ。
そしてもう一つ、その時のスニーカーってコンバースじゃなかったっけ???って方も多いと思います。これは、正確にはNOなんですがYESとも言えるんです。
なぜかというとJACK PURSELLという名前のスニーカーは数奇な運命をたどっていまして、1930年代に活躍したバトミントンの世界チャンピオンになったジャック・パーセル選手のシグニチャーモデルとしてデビューするのですが、最初の販売元はスポルディング社その後50年代にBFグッドリッチ社が販売権を取得し、その関連会社のPF-FRYERS社が発売、ジェームス・ディーンのお陰で大ブレークしすぎ、1960年代後半にアメリカ政府より独占禁止法の訴訟をおこされ、コンバース社にジャック・パーセルの販売権を売却し今に至っています。
ゆえに、あまりスニーカー情報のない映画雑誌なんかには、ジェームス・ディーンが履いていたのはコンバースっていう解説があったりもするのです。
写真のジャック・パーセルは左のヒゲ付きが
現行のコンバース社製のもの。
中央の白いのが
PF-FRYERS社が当時のジャック・パーセルのオマージュとして
限定生産されているジャック・パーセルレプリカ(しかも日本生産)。
右側のターコイズとグレーのジャック・パーセルは、
US ORIGINEITERというオールドモデルのレプリカ仕様です。
PF-FRYERS社のスニーカーは店舗限定商品も
fringeでお取り扱い中です。
ジャック・パーセルはその後様々なアーティストに好まれるのですが、ジェームス・ディーンが悲劇的な最期をむかえたように愛用していたあのアーティストも‥‥‥
誰も楽しみにしていないかもしれませんが、一応続く予定です。
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